プロフィール

1972年1月18日生まれコアラ
東京大田区出身
3人兄弟長女
幼稚園の頃は近所に祖母の家があったので毎日のように遊びに行っていました。
そこで見ていた水戸黄門が大好きで、幼稚園で折り紙の手裏剣を作ってよく投げていました。
小学校に上がりさらに活発になった私は将来の夢である「忍者のくノ一」になることを目標に忍者修行に明け暮れました。
○速く走る練習
○塀の上を歩く練習
○水の上を走る練習
○水に長い時間潜る練習
○手裏剣を投げる練習
などなど
中学では3年間男子からいじめにあって学校に行きたくないと思いながらも毎日通い、男子が怖かったので高校は女子校に行きました。
高校ではバスケ部、風紀委員を3年間やり、大して勉強はしなかったけれどクラス総代で卒業、とても楽しい3年間でした。
その後、机に向かう勉強がしたくなかった私は音大ミュージカル科に入り、さらに楽しい2年間を過ごしました。
卒業後はミュージカル劇団に入って 全国旅をしながら幼稚園、小中学校の子供達向けにサウンドオブミュージックではマリア、オズの魔法使ではカカシ役などのミュージカルをしていました。
でも旅の途中で喉を壊して歌えなくなって続けられなくなり、その旅が終わって劇団をやめて、喉を治しながらバイトしようと開発前の汐留の発掘調査のバイトを始めました。
明治時代に初めて日本で汽車が通った新橋から横浜の駅のプラットホームや転車場の跡地、その下の層では江戸時代の伊達家と脇坂家の屋敷跡があり、当時の人たちの生活用品が出てきてとても面白かったです。
私の仕事は土を掘って発掘品を見つけることではなく、出てきたものを洗ったり、割れて出て来た発掘品を接合したり、図面に起こしたりする仕事でした。
同時にどうしても着物を着たかった私は、夜は和服ウエイトレスのバイトもしていました。
仕事を続けながらも、ミュージカル復帰への夢も持ち続けていましたが、どうしても喉が治らず、ある日突然諦めがついて覚悟を決め、石油会社へ就職しました。
と同時に前からやりたかったお茶と先輩に誘われてお花を習い始めました。
その職場も人間関係には恵まれてとても楽しかったけれど、とにかくお給料が少ない!そして女子は昇給もしない!
私は仕事は頑張ればそれだけ認めてもらえてお給料も上がると思っていたので、その会社の「女子はお茶くみ」という体質がどうしても嫌で、だったら自分の好きな仕事をしてお金を得た方がいいと思って仕事を辞めました。
そして、着付師の資格を取り、お茶は表千家の師範代になり、お花は草月流の師範代になりました。
現在は、学生時代のイギリス留学がきっかけで日本人が忘れかけている日本の伝統文化と礼儀作法、おもてなしを伝えようと起業し、ホッとする時間や空間、人とのつながりを通して明日のあなたが素敵に輝けるお手伝いをしています。